フウドで福島桜紀行を見てきたぞ

2018年3月19日

広島県江田島市沖美町にあるコワーキングスペース『フウド』『福島桜紀行』を見てきました。

 

あ、今回あえて広島県と付けたのは、江田島市という情報だけではどこかわからないだろうから。

情報の発信者は自分の知識をコモンセンスだと思ってしまう傾向にあるけど、本来は全国の中2の皆さんにわかるように配信しないといけないんですよね。

昨日の記事ではちょっと下手打ってました(汗)

 

フウド

 

フウドの公式サイト↓

面白い「モノ」「コト」「ヒト」に出会える場所

 

 

福島桜紀行

鉾井喬(ほこいたかし)さんが一ヶ月に渡る桜前線の推移とともに福島の桜を映像化した作品です。

ジャンル的には短編映画になるのかな?

桜だけでなく、その地に暮らす人たちの姿も描写してあります。

 

芸術の素養のないボクがあれこれと説明するよりも、予告のほうが説得力があると思うので、ちょっと見てみてください。

 

 

 

 

哲学カフェで福島桜紀行でインスパイアされたことを語り合う

上映終了後に哲学カフェが催され、福島桜紀行を見たことによってインスパイアされたことなどを語り合いました。

なにぶん初めてのことで、正直なところ自分の思考と言語が不一致だった気がします。

言語化には瞬発力が求められますが、文字情報では熟考と整理がたやすい特徴があり、ボクはどちらかと言うと後者に重心が傾いていてうまく言語化できませんでした。

なので、あの時に語れなかったことを2つ、文字化して取り上げてみます。

 

 

F値の小さいレンズと一眼レフによる映像と構図の妙

ビデオカメラと一眼レフまたはミラーレス一眼での映像の差はなんと言ってもボケ感ですよね?

それらの、前ボケから後ボケへなだらかにシフトしていくフォーカスって、個人的に好きなんですよね。

また、レンズの特性を活かすためにあえて露出過多になっているシーンも見受けられました。

これが意図的なのかどうか、レンズのF値の兼ね合いでなったのかは作者の鉾井さんしか知らないでしょうから、機会があれば狙いなのかやむを得ずそうなってしまったのかを聞いてみたいなと思います。

 

全編に渡っていたのかは明確には覚えていませんが、ほぼ単焦点レンズで撮影したように見受けられました。

ズーム機能があるレンズだとどうしても拡大縮小をやってしまいますよね?

そういった描写がなかったような気がします。

そのため、映像であるにもかかわらず、画像の遷移を見ている錯覚に陥ることも。

不思議な感覚でした。

 

そして構図。

ボクのような下手くそは情報を捨てきれません。

桜の木なら全部を画角に入れちゃうことが多々あります。

それをあえてバッサリ切るのにはセンスが不可欠なのですよね。

予告にはないシーンで、左側にある桜を上側と左側をカットしているものがあったんです。

こういった描写をスパンとできるようになりたいなと、思わず感嘆してしまいました。

 

※2018.03.18追記:実際にお話をお伺いしました。

淡い色合いは調整の段階で意図的にそうされているとのこと。

そして、SIGMAの後援により借りることができたレンズで、単焦点のヌケの良い映像を撮ったとのことでした。

 

 

未来の江田島?

不幸にして福島の沿岸は津波によって壊滅的な打撃を受けてしまいました。

福島桜紀行でも人のいない桜が少なからず映し出されています。

これは震災があったからなのでしょうか?

ひょっとすると、映し出されていたのは地方都市の近未来かもしれません。

 

映像を見ながらふと思い出したのが小野小町の歌でした。

『 花の色は 移りにけりな いたづらに 我が身世にふる ながめせし間に』

掛詞の多い句で解釈が少々厄介な歌ですよね。

 

花の色はもちろん桜の花の色で、裏の意味では自らの美貌を意味しています。

虚しく過ごした日々が刹那であり、艶やかだったものが色褪せる無常。

花の色は町の色でもあるような気がしてなりません。

 

江田島市もご多分に漏れず過疎化が進み、5年ごとにで3000人の人口が失われています。

現在の人口が2万4千人なので、小学生でも割り算と掛け算を駆使すれば、容易に消滅年数が計算できる状況。

このような事実と桜の花びらの淡さがシンクロして、憂惧を含んだ警鐘が聞こえたような気がします。