てくてくの雲南省支援と朝鮮英祖代のさつまいも流入

朝鮮王朝史研究家のSaksakが通りますよ~。

 

さて、江田島で耕作放棄地を活用してサツマイモを栽培している「てくてく」さん。

スイーツや芋焼酎に加工していて、直営店ではスイートポテトやパイなども販売しています。

その「てくてく」さんが、雲南省の支援をしているそうです。

 

 

共同通信の記事

【北京共同】北京の日本大使館で21日、天皇誕生日祝賀レセプションが開かれ、広島県江田島市でサツマイモの栽培や加工を手掛ける井上峰志さん(36)が、中国雲南省で脱貧困を目指す農家が生産した紫芋パウダーを練り込んだポテトパイを提供し、好評だった。中国の貧困農家の所得向上を支援しており、販路開拓を図った。

 

 

雲南省ってどこよ?

 

ぶっちゃけ山奥ですね。

といいつつ、行ったことはないのですが、ラオスの山奥ルアンパバーンへはバスで10数時間掛けて行ったことがあるので、なんとなく想像がつきます。

こんな山奥に5000万人弱住んでるなんてアメージング。

もう国ですよ、国!

場所柄、少数民族が多い地域です。

 

 

サツマイモの世界生産第1位は中国なんだけど

このニュースを聞いた時、正直???となってしまいました。

そもそも中国のサツマイモの生産量は日本の80倍ほどあり世界第1位なんです。

数百年前じゃあるまいし、どうしていまさら?と思ってしまいました。

いろいろと大人の事情がありそうです。

食料としてというよりは、効率的なバイオ燃料生成のノウハウをゲットしたいんじゃないかなと思ってみたり。

穿った見方をしてもっと類推できることもあるのだけど、ここでは割愛しておきます。

 

 

朝鮮英祖代のさつまいも流入

韓国でもポピュラーなサツマイモ。

韓国語ではコグマ(고구마)というので、「え?子熊食べるの?」と驚いてみせるのはお約束ですね。

 

朝鮮半島にサツマイモが渡ったのは1763年10月。

朝鮮第21代・英祖(ヨンジョ:영조)の治世。

しかも、日本から渡ったものです。

なので「数百年前じゃあるまいし」と先述したのです。

※最有力説であって確定説ではありません。ただし、若干年数がずれる程度で、対馬から伝搬したのは間違いありません。

 

 

趙曮(チョ・オム)

チョ・オム

 

このサツマイモの伝播に尽力したのが趙曮(チョ・オム:조엄:1719-1777)

第11回朝鮮通信使(日本通信使:イルボン トンシンサ:일본 통신사)通信正使(トンシンジョンサ:통신정사)となった彼が、対馬に到着した時点で種芋を送らせたと言われています。

 

一応一次資料を調べてみたのですが、朝鮮王朝実録にも承政院日記(スンジョンウォンイルギ:승정원일기)にも10月の彼に対する記述はありませんでした。

朝鮮王朝実録では8月3日に英祖が「好往好來」の4文字をしたため送り出したとあるだけです。

おそらくは、チョ・オム自身の著書・海槎日記(ヘサイルギ:해사일기)などを分析して、サツマイモが伝搬した月を類推したのだと思います。

 

ちなみに、先述した韓国語のサツマイモの名称コグマは、上記の書物が出典の一つとされています。

彼がサツマイモのことを古貴爲麻(コグィウイマ:고귀위마)と記しており、その音が簡素化されたものでしょう。

また、その語源は日本語の孝行芋(こうこういも)だと類推されているのですが、彼は音だけを聞いたに違いありません。

彼は儒者なので、漢字を見ていれば書き写していたはずですから。

 

 

日東壮遊歌

さらにちなみに、第11回朝鮮通信使は江戸時代に行われた通信使としては実質最後のものです。

このときに三房書記(サムバンソギ:삼방서기)として随行していた金仁謙(キム・インギョム:김인겸:1707-1772)日東壮遊歌(にっとうそうゆうか:イルドンジャンユガ:일동장유가)は、日本でも翻訳されているほど資料そして有名なもの。

その中に、サツマイモが美味しかったとの記述もあり、当時派遣された通信使のサツマイモへの関心が見て取れます。

 

日東壮遊歌 金仁謙 ハングルでつづる朝鮮通信使の記録

 

 

サツマイモは中国から渡ってきた!

Wikipediaによると、サツマイモは1594年にフィリピンから中国に渡り、その後、日本に入ってきたようです。

実は正祖(チョンジョ:정조)実録を読み見込んでいた際に気づきました。

正祖って、あの李祘(イ・サン:이산)ですよ~。

正祖18年(1794年)12月25日の記述に以下のものがありました。

 

一, 沿海諸邑, 有所謂甘藷者, 藷方始見於皇明名臣徐光啓所撰《農政全書》, 盛言其少種而多收, 不妨農功, 旱蝗不能災, 甘美如五穀, 而功用配之, 兼濟豐凶。

 

沿海諸邑というのは朝鮮半島の南部のことで、甘藷というのがサツマイモ。

明国の名臣・徐光啓が撰述した「農政全書」に初見され、それを称賛をしながら「少し植えても収穫が多く、農作業が楽で、日照りや蝗虫の災害も受けず、甘く美味なことは五穀に匹敵し、苦心するだけにやりがいがあるので豊作でも凶年であろうと有利だ・・・」とあります(ざっくり訳)

農政全書は徐光啓 (1562–1633)の死後1639年に刊行されているため、朝鮮においても知識としてはそれ以降に吸収していたはず。

それなのに普及しなかったのは、実学を重視しなかった風潮にほかなりません。

 

実際、日本から救荒作物として導入されたサツマイモが朝鮮半島に渡っても、上記の記述からもわかる通り、南部の沿海地方でしか普及していませんでした。

結局、さらに一代下った純祖(スンジョ:순조)代になり、ようやくソウルでも栽培が始まりました。

 

 

まとめ

そもそも救荒作物で簡単に栽培できることが、東アジアの歴史でも証明されているサツマイモ。

現代でも栽培技術がさほど必用ないため、小学生の農業体験の教材にもされていますよね。

(小学生の時に栽培した記憶が・・・)

 

そして、世界生産がぶっちぎりで、日本への伝搬元だった中国への支援。

なんだか香ばしい気が・・・。

はしごが外れない事を祈るばかりです。

 

「てくてく」さんのスイーツは藤三大柿店の敷地内にあるショップで購入できますよ~。

 

投稿者プロフィール

saksak・
saksak・エタジマ大学学長
🍄江ニャ島市特命係長🍄

「せとうちネコネコ団」の執事として、10数匹の猫の下僕生活満喫中🐈
サイゴンやバンコクで彷徨い、オアフ島に2ヶ月滞在した後に江田島に流れ着いた漂流民🌴
ブログの収入で古民家を買って島の生活を楽しんでます🌟

Wordpressによるオリジナルブログやサイトの構築が一応できます。
360度カメラ・オールドレンズ遊びも趣味📸
バイクもたくさん持ってます🏍
平日の日中にバイクに乗っている人を見かけたら、ボクである確率が高いらしいです(島民談🤣)